人嫌いになる季節
中国の「手作り餃子」に関心が集まる今日この頃、食の安全について世間の人は考え込んでいるフリをしているように思える。スーパーに行けば、パッケージの裏にある添加物表示を見て「中国産」と書いてあれば棚に戻すオバ樣方も見かける。
そりゃ食べる物の事だから安心出来るものでなきゃ困るけど、でもね、ボクが思うのはそんなことじゃないのよ。テレビでもバンバンやってるけど、この天洋食品というところはきれいな、でもって大きな工場だよね。で、そこで作られてる「手作り」餃子なるモノとはいったいなんなのか。大きな工場で大勢の人がよってたかって餃子を作っているんだろうねぇ。でも人の手で作られれば、やっぱり「手作り」なんだろうねぇ。
パッケージに「手作り〜」って書いてあるって事は、会社にとっては書く意味があったんだろうし、消費者もなんとなくでも「手作り」って言葉に魅力があるんだろうねぇ。「本格派」のハムだかソーセージだかってのも見るねぇ。
でね、ボクは思うわけよ。そんなもののナニが良いのかって。
そりゃね、良いモノなら良いモノに越した事はないけどね。でもそれなら「良いハム」であってほしい。間違っても「本格派のハムだねぇ」とは言ってほしくない。
あのねぇ、そんなにたくさんの「本格派の〜」とか「手作りの〜」なんてのが出て来ちゃうとね、イラッとするわけですよ。それは「本格派の〜」じゃなくて「流行」なワケでしてね。
で、常々思うわけです。
「手作り」ってナニが良いんですか?
「本格派」もしくは「本格的な〜」ってどういう意味ですか?
すべてがロボットによって作られたとても清潔な食品じゃイヤですか?
消費者はいろんな意味で賢くならないきゃいけない時代にいると思う。
いや、自分も含めてね。